6/29土~ 7/04木●1階

新南画の巨匠、日本画家の橋本関雪先生は、明治16年に神戸市(現在の中央区楠町)に生まれ、幼少年時代を神戸/明石/加古川/高砂/西脇に過ごしました。本格的な画壇での活躍は京都や東京時代に待たれますが、画家となる素地を育んだ環境はその家庭にありました。

父;橋本海関は旧明石藩の儒者(漢学者/漢詩人)であり又、親族全員が儒学や南画に親しむ、今の言葉で言えばインテリ(文人)一家に育ったからでしょう。子守歌に祖母の漢詩を聴き、幼少時代より儒教の書物を目にした事で、絵画技術を習得するのみならず、漢詩を読み中国の優れた古典文化を学び、その精神性を会得してゆきました。

大正2年32才で初めて中国を訪れ、没するまでに30~40回も訪中を重ねたと言われています。きっと何度も神戸港から船で渡航されたのだしょう。(戦前は軍用機でも訪中との記録があります。)

湊川尋常小学校を中退し、当時の平野村に住まいする四条派の画家「片岡公曠」に作画技術の基礎を学び、父より直接儒学を学び、絵画に対する技術と作画姿勢を研鑽しました。

明治36年に当時京都画壇の重鎮であった「竹内栖鳳」の画塾(竹杖会)に入りますが、強烈な個性と確固たる自信の基(入門時既に作畫技術を身に付けていましたので)、自己の作画姿勢を貫き、所属会派の技法である四条派的作画をせず独自の画境である「新南画」を創作し続けました。

大正12年に同塾を退会します(関雪の言葉では「師を破門する」との逸話が有ります)。関雪は閉鎖的であった京都画壇を抜け出し、より自由に「実力有る孤高の画家」として独自の芸術作品を生み出して行きます。

京都北白川の銀閣寺前に邸宅「白砂村荘」を造り、沢山の美術コレクションに囲まれ又、種々の当時としては大変珍しい動物達を自ら飼育し写生に明け暮れました。(因に、白川の哲学の道沿いの桜並木は関雪が奥様の希望で植樹されたものです)

晩年の動物画(猿の絵に代表される)に見られる四条派的作風が有名ですが、それらは竹杖会(四条派の画塾)に有りながら自己の画風(新南画)を貫き、同派を離れてから、その写生派の技術をより一層高め独自の精神性を加えた形で表現した結果の作品となりました。(四条派を越える実力を示した)

しかし、明治後半~大正にかけての作画は表面的な美のみを追求するのではなく、南宋画の古典や儒学に学んだ精神性や画題の詩情性を真摯に表現しています。

地元神戸に因む画家と言えば、洋画家で「金山平山」や「小磯良平」、日本画家では「村上華岳」や「東山魁夷」が有名衆知の作家ですが、橋本関雪先生は太平洋戦争の終戦直前に没し、敗戦の混乱の中、回顧展の企画や秀作の記録整理等が思うように行われず、又多作な作家にも拘わらずその作品の多くが戦後の新しい生活文化や芸術運動より取り残されて来た感が否めません。

今年は画伯の生誕130年に当たり、各地で有名作品が展覧されていますが、本展は一般コレクター向けの小品企画であり、時代を超えて大切に受け継がれてきた作品の審美を再度見直してスポットライトを当ててみたく作品を集めてみました。大正時代の新南画を中心に、晩年の四条派的表現の花鳥画迄の軸装作品30点余をトアロードのモダンな画廊にて展示販売いたします。(13)

平成25年6月吉日                    ギャラリー和商 主人敬白

   
   
   
   
   
   
152×51
   
34×42
   
143×50
   
142×42
   
46×52
   
27×24
   
51×57
   
34×7
   
47×52
   
40×45
   
57×71
   
35×42
   
127×27
   
151×31
   
142×32
   
141×31
   
128×35
   
157×30
   
119×42
   
149×43
   
132×51
   
147×32
   
??×??
   
   
145×32
   
133×31
   
165×60
   
143×31
   
126×28
   
40×52
   
36×7
   
147×31
   
146×35
   
126×28
   
130×32
   
157×31
   
130×25
   
153×31
   
143×28
   
135×42
   
40×44
   
50×56
   
47×51
   
103×36
   
153×31
   
123×22
   
139×29
   

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